• 2013.01.18(火)
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徐家匯は元々、蒲匯塘、肇嘉浜、李漎涇の3つの河川が合流する地点だった。明代の科学者・徐光啓はここに農園と別荘を構え、農業実験と著作に励んだ。その後、徐氏一族がこの地に集住したため、清の康煕年間には徐家匯と呼ばれるようになった。1847年、カトリック江南伝教区はここにイエズス会総本部を設立し、徐光啓やマテオ・リッチが始めた西洋の学術を中国に紹介し、中国の学術を西洋に伝える事業を受け継いでいった。これ以降、科学、技術、文化、教育、出版、慈善、宗教に携わる団体が次々に創設された。20世紀初頭には、徐家匯はかなりの規模となり、文化の一大中心地となっていた。

徐家匯は上海特有の都市文化の特徴を備えた一般開放型の観光エリアである。主な見どころとしては、徐光啓の墓、天主堂、天文台、蔵書楼、旧徐匯公学、旧百代唱片公司、土山湾博物館、上海交通大学校史博物館、銭学森図書館、董浩雲水運博物館などがある。

元来は明末の科学者・徐光啓の墓地で、明の崇禎14年(1641年)に勅命により造営され、歴代の皇帝から保護を受けてきた。かつては南丹公園と呼ばれ、後に徐光啓を記念して改称された。面積は1万3,200㎡。2003年に明代の墓制に即して牌坊(鳥居形の門)、墓道、塚が再建された。光啓公園は今日では記念庭園となっており、北側は徐光啓の墓、西側は徐光啓記念館、東側はレジャースペースとなっており、徐光啓にゆかりのある碑廊や彫刻、遺構が趣を添えている。園内の曲がりくねった小道、鬱蒼と生い茂る木々、魚たちが戯れる蓮池は、厳かな雰囲気を醸し出している。憩いの場としても良し、また先人の偉業に思いを馳せてみるのも良いだろう。

明の崇禎7年(1634年)に勅令による葬儀が行われ、同14年(1641年)にこの地に埋葬された。全10室の墓室があり、徐光啓とその妻・呉氏、および孫夫妻4組がそれぞれ埋葬されている。明代の墓制にのっとって造営されたこの墓は、前面に墓道があり、そこに石碑、人間や馬、虎、羊の石像、華表(装飾用石柱)、牌坊などが配置されている。1903年、カトリック上海教区が墓道の前に大理石の十字架を立てた。その正面にはラテン語の碑文を刻み、残りの3面には馬相伯が執筆した「徐文定公墓前十字記」が刻まれている。東側の碑廊には徐光啓の肖像画や手蹟、その事績を記した石刻12点が展示されている。1988年、国務院により「全国重点文物保護単位」に指定された。

館舎は明の弘治年間に建てられた「南春華堂」で、2003年に梅隴郷の梅隴鎮東から現在の場所に移転された。また、徐光啓の墓前にあった彫像も館内に移され、こうして徐光啓記念館がオープンした。本館は旧時の邸宅特有の2段構えの玄関構造を持ち、照壁(目隠しの塀)、碑廊、厢房(母屋両脇の東西に向かい合う部屋)、庁堂(広間)、裏庭などが明代の様式で配置されている。記念館の展示は、「徐光啓の生涯」「『農政全書』と『幾何原本』」「『崇禎暦書』と『徐氏庖言』」「徐光啓と上海」の4つのコーナーに分かれている。所蔵品には土山湾画館が1913年に制作した徐光啓、マテオ・リッチ、アダム・シャール、フェルディナント・フェルビーストの水彩人物画がある。マテオ・リッチが作成した『坤輿万国全図』は、中国国内でも数少ない、南京博物館が所蔵する原版の複製であり、中国に伝えられた世界地図としては最も早期のものである。

徐家匯天主堂は現在、カトリック上海教区の司教座聖堂であり、聖イグナチオ・デ・ロヨラを守護聖人としていることから、「聖イグナチオ大聖堂」とも呼ばれる。清の光緒30年(1904年)、英国の建築家ダウドール(Dowdall)が設計し、同32年(1906年)にフランス系資本の上海建築公司により建設着工され、宣統2年(1910年)10月22日に、双塔型・ゴシック様式の建築物として完成した。教会本館は石柱型木骨レンガ造で、建築平面は十字型となっている。南北に向かい合う2つの鐘楼は、高さ57メートルで、尖頂の高さは31メートル。天に向かって高くそびえる2つの十字架は、上海西部のランドマーク建築となっている。教会内には金山石に精巧な彫刻を施し、それを重ね上げた大柱が64本あり、さらにその1本1本が10本の小さな円柱から成っている。本堂には3000人を収容し、同時に宗教活動に参加させることが可能で、かつては極東一の大教会であった。

徐家匯蔵書楼はイエズス会の修道士により清の道光27年(1847年)に開設された。1956年に徐家匯蔵書楼の漢籍や洋書の善本が上海図書館に編入された。現在、徐家匯蔵書楼の蔵書は1949年以前に出版された外国語書籍・新聞雑誌が主体であり、また英国王立アジア協会図書館等の蔵書も受け入れ、近年では「羅氏蔵書」(スウェーデンの蔵書家ウェンダール氏(中国名:羅聞達)の蔵書)も購入した。今やその充実ぶりは洋書・漢籍収蔵の中核施設と呼ぶに相応しい。蔵書楼は中洋折衷の建築様式となっている。漢籍書庫とされた1階は寧波の天一閣の蔵書楼を模して建造され、経・史・子・集・叢の5ジャンルに分類されていた。当時、漢籍の蔵書数は12万冊余りに上っていた。洋書庫とされた2階は、バチカン教皇庁図書館に倣った館内配置となっている。書棚は床面から天井まで続き、その中程に立体通路が設けられ、上り降りして書籍を取り出せるようになっている。洋書庫はイエズス会蔵書楼の原状をそのまま留めており、15世紀以降に出版された各種西洋文献8万冊余りが保管されている。中でもシノロジーと神学の文献は非常に貴重である。

徐匯公学はカトリック宣教師クロード・ゴットランドにより清の道光30年(1850年)に創設された。創設にあたり、聖イグナチオ・デ・ロヨラを守護聖人としたことから、当初は聖イグナチオ公学と呼ばれた。また、徐家匯にあることから、徐家匯公学、略して徐匯公学とも呼ばれるようになった。フランス語名は「COLLÈGE ST-IGNACE ZI-KA-WEI」で、カトリック教会が中国で創設したミッションスクールの中では最も早期のものである。1932年に上海市私立徐匯中学と改称され、カトリック教会により運営された。1953年には公立学校に改組され、上海市徐匯中学と改称された。有名な教育家・馬相伯(1840-1939)は同校の卒業生で、1871~1874年に校長を務めた。崇思楼の正面外観はレンガ造、内部は木造が主体で、全4階建てのフランス・ルネッサンス建築様式となっている。1994年に上海市人民政府から「優秀歴史建築」に指定された。

徐家匯天文台は、イエズス会が清の同治11年7月(1872年)に設立し、同年12月1日に気象観測が始まった。同治12年(1873年)には、徐家匯肇嘉浜のほとりに平屋建ての数部屋が建設され、気象観測に使用された。光緒26年(1900年)には、西側に新たに天文台が建設された。本館は3階建てのロマネスク様式で、レンガ壁、赤レンガの窓枠、アーチ型の窓、とっくり型の手すりが特徴的だ。中央に建てられた木造の測風塔は高さ40m、ベックリー風向風速計が備え付けられている。徐家匯天文台は国際天文学連合から標準時生成機関に定められ、1926年と1933年に2回にわたり国際共同緯度観測に参加し、パリやロサンゼルスとともに世界3箇所の測量基準点となった。

聖母院はイエズス会宣教師ルイス・シーカの呼びかけにより、清の道光23年(1843年)に青浦県横塘で建設が始まった。同治3年(1864年)に徐家匯に程近い王家堂に移転した。同治7年(1868年)に徐家匯イエズス会居住地付近に拯亡会、献堂会などの修道院が相次いで設立され、これらを総称して徐家匯聖母院と呼ばれた。その敷地は広大だったが、今日では主に1926年に建設されたヨーロッパ式建築様式、鉄筋コンクリート5階建ての建物を残すのみとなっている。20世紀に入り、修道女が浦東の唐墓橋天主堂に移った後、この建物は貸し出され、現在はレストラン「上海老站」がテナントとなっている。店内には機関車の車両2両が保存されている。うち1両はドイツ・ハノーバー車両工場1899年製、もう1両はロシア・エカテリンブルク車両工場1919年製。

旧土山湾孤児院は清の同治年間に創設された同孤児院のうち唯一現存する建築物で、当時の北楼に当たる。木骨レンガ造3階建てのこの建物内では、工芸・美術の職人養成が重点的に行われていたため、孤児工芸院とも呼ばれる。2010年の上海万博を前に、徐匯区は土山湾孤児院跡に土山湾博物館を開設し、2010年6月12日に一般公開した。全館展示室の面積は900平方メートル余りで、展示品400点近く、史料写真200枚余りが展示されている。「牌楼庁」「徐家匯庁」「土山湾庁」「伝承影響庁」の4コーナーに分かれ、実物、写真、模型、歴史文献を主な展示物とし、それにマルチメディア等の補助的手法を組み合わせて土山湾工芸院の様子を再現し、同院が中国と西洋の文化交流に果たした貢献を紹介している。

徐家匯公園は衡山路、天平路、肇嘉浜路、宛平路に囲まれた一帯にある。ここにはかつて、上海大中華橡胶廠(ゴム工場)、上海百代唱片公司(中国唱片上海支社)やその他周辺の事業所や住宅街があった。面積は8万6600平方メートル。2000年に開設された同公園には、ゴム工場の煙突やレコード会社の事務棟が保存され、歴史の記憶を伝えている。設計配置は上海一帯の地勢を模したものとなっており、黄浦江などの河川や湖沼も再現されている。そして、その上に架かる全長200メートル近くの歩道橋が公園全体を貫いている。

1921年に建設され、敷地面積は約192平方メートル、延床面積は480平方メートル、オランダ式建築様式の専用庭園付き住宅である。木骨レンガ造で、北側正面の表面が石材で処理され、南側のバルコニーは2本の柱で支えられている。真四角の戸窓、赤いレンガ壁のその姿から通称「小紅楼」と呼ばれるこの建物は、東方百代唱片公司のアジア太平洋地区本社で、中国のレコード産業発祥の地でもある。1935年、上海電通影業公司の映画「風雲児女」の主題歌「義勇軍進行曲」(田漢作詞、聶耳作曲)のレコーディングはここで行われた。1949年9月24日、中国人民政治協商会議はこの曲を国歌に指定した。この建物は2005年、上海市人民政府から「優秀歴史建築」に指定された。

上海交通大学は1896年の創立当初の名称を南洋公学といい、1921年に交通大学と名付けられた。校史博物館は1919年に落成した旧図書館(徐匯キャンパス)内に1996年4月8日の創立100周年を記念して開館し、1947年度卒業生の江沢民氏が館名を揮毫した。2003年に「上海市愛国主義教育基地」に指定された。校史博物館には3つの展示ホールと1つの陳列室があり、総面積600平方メートルあまりの展示スペースに、校史についての基本展示、同窓生や在籍した研究者の文献や写真の展示、およびOBの林同炎氏についての個人展示が行われている。

董浩雲水運博物館は1909年に落成した上海交通大学新中院(徐匯キャンパス)内に、2003年1月に開館した。上海交通大学と香港董氏慈善基金会が共同で創設した。天窓のある2階建ての建物は、清末上海の擬洋風建築。同館の展示室は全600㎡余り、1階は中国水運史館、2階は董浩雲個人についての展示となっている。董浩雲(1911-1982)は浙江省舟山群島出身で、中国東方海外貨柜航運公司の創業者である。同館は「上海市科学普及教育基地」に指定されている。

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