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小籠包の発祥地——南翔古鎮

小籠包の発祥地は上海郊外にある南翔という歴史ある町。 小籠包の発祥地は上海郊外にある南翔という歴史ある町

清代同治年間に、南翔の「日華軒」という店の店主黄明賢が、古猗園の石船(水上建築)で南翔大肉饅頭を売っていました。文人墨客たちはいつも饅頭の皮をちぎっては池の中に投げ入れ魚の餌にしていました。客の食に対する要求が高いことに気づき、饅頭の大きさを小さく、皮を薄く、具を多くつめるように改良を重ねました。そして、南翔大肉饅頭は現在の、皮が薄く、具が多く詰まっていて、ジューシーな半透明の小饅頭に姿を変え、小籠包は一躍有名になりました。小籠包の食べ方にはコツがあります。まず軽くつまみ上げて、ゆっくり口の方に移動させ、そして小さな「窓」を開けてから、ゆっくりとスープを吸いますと、おいしく召し上がれます。

小籠包の発祥地は上海郊外にある南翔という歴史ある町

本場の南翔小籠包の製作には決まった工程の流れと材料(小麦粉、豚肉)があります。その規格は、饅頭100個当たりの小麦粉の量は500グラムと決まっており、小麦粉は発酵させずに、水で弾力が出るまで捏ねます。ひき肉は脂身と赤身の割合を程よく調整し、饅頭の重さは1個につき5gまでで、饅頭の中に含まれるツユの量は小皿一杯。皮は薄く、半透明で、形はクログワイに似せて包む、ひだの数は1個当たり十数個(枚)。蒸す時にも厳格な決まりがあり、蒸しあがりが30秒早いだけで具が十分に熟していなかったり、30秒遅れればツユがなくなったりします。

小籠包の発祥地は上海郊外にある南翔という歴史ある町

2002年6月、クアラルンプールで行われた第四回中国調理世界大会で、南翔小籠包は金賞を受賞しました。2002年の第十二回中国調理師祭りでは「中国名物点心」の称号を獲得。また、2007年6月では、その制作技術が、はじめて上海市の無形文化遺産に登録され、そして2014年12月には、中国の国家級の無形文化遺産に登録されました。

伝説:西太后自らが「天下一の饅頭(点心)」と名付けた小籠包 伝説:西太后自らが「天下一の饅頭(点心)」と名付けた小籠包

清朝末期、西太后(中国語では慈禧太后)は北京の紫禁城(故宮)に住み、故宮内務府に御膳房(現在の厨房)を設置していた。ここでは全国で最良の料理番が集められ、各地の「禽八珍」、「海八珍」、「草八珍」といわれる貴重な高級食材を取り寄せ、有名な料理・点心を調理し、皇帝・皇后の御膳に進呈していました。このほか、西太后は御膳房に特別に作らせた「小窩頭(シャオウオトウ、トウモロコシやコウリャンの粉を練って団子状にして蒸したもの)を好んで食していました。ある冬の日、西太后は突然悪寒がして、胃の調子が悪くなりました。御膳房は西太后の体調に合わせて体の温まる山菜・海鮮の珍味を西太后が住む体和殿の御膳に届けましたが、西太后はそれらを食べようとしませんでした。午後のお茶の時間になり、各種の素晴らしく美味な菓子と「小窩頭」を運びましたが、西太后は見向きもしません。当時西太后の世話役だった李蓮英太監(太監は宦官のこと)は、「西太后様は小窩頭でさえも食べ飽きてしまったようだ、どうしたらよいだろうか」と心の中で思いました。その瞬間、李太監は、突然ある大臣が自分に上海から手土産として持参した南翔小籠包を思い出し、それを西太后に差し出すことを決めました。

小籠包の発祥地は上海郊外にある南翔という歴史ある町

 李太監は、自宅から竹かごを持って急いで御膳房まで走り、料理番の太監に籠の中の蓮の葉を開いて見せながら、南翔小籠包を取り出して蒸すよう命じました。すぐに蒸しあがると、彼は熱々の南翔小籠包を体和殿まで届け、「西太后様、貴方のために小窩頭よりおいしい小麦粉でつくった点心をお持ちしました」と勧めてみました。西太后は白玉でつくった小さな饅頭のようなものをじっと見て、一つ口へ運んでみました。すると、西太后は直ちに胃の調子が良くなり食欲が出て、この味は天下逸品だ!と称賛した後、小籠包を一皿全てたいらげてしまいました。西太后は暫く興奮ぎみでしたが、宮仕えの女官に墨と筆を用意するよう命じ「天下第一包(天下一の点心)」と半紙に生き生きと書きつけました。

伝説:西太后自らが「天下一の饅頭(点心)」と名付けた小籠包 南翔老街
南翔老街

南翔は、古くは槎渓といわれ、南朝梁天監4年(505年)に白鶴南翔寺が建てられ、南翔鎮は寺を由来に名づけられ、今日まで1500年の長い歴史を有します。南翔は古くは多くの商人が集まり、経済繁栄を遂げ、多くの優秀な人材を育み、「小さな南翔は蘇州に匹敵する」とその美を称えられたほどです。南翔鎮は二つの市級歴史文化様式保護区に指定されている双塔と古猗園があり、2010年「中国歴史文化名勝」の称号を獲得しました。主な観光スポットは梁代云翔寺、五代双塔、蕭梁古井戸、明代檀園、明清古橋、老舗がずらりと並んだストリート「老字号一条街」と伝統的な住民生活エリアなどがあります。

南翔老街 南翔老街 南翔老街

「南翔」という名の由来にはある美しい伝説があります。梁(南朝)の時代の天監年間(梁の創始)、ある年老いた農民が、畑を耕したときに大きな石を掘り出しました。その石が地面に露わになったとき、一対の白鶴がその上空を旋回し、石の上に止まり、長くそこを離れようとしませんでした。そのとき、徳斉という名の和尚がここを通りかかり、この情景を目にしました。付近には横瀝河、上槎浦、走馬塘、封家浜という4本の河川が横から交差し、四方に彎曲し、「卍」という文字を形成しており、お釈迦さまの胸の部分に示されている「卍」のようで、ここは縁起の良い仏教の地であると判断し、ここに仏寺を建造することを思い立ちました。この日から毎日、対の白鶴は飛ぶごとに、そこにいる人々に物やお金を貢ぎ、寺の建物の材料を準備し土木工事に役立てました。仏寺が落成した日、その対の白鶴は徳斉和尚を背負って南に向かって飛び立ち、巨大な石に突然一首の詩が現れました。「白鶴南翔去不帰、惟留真跡在名基 可怜後代空王子、不絶薫修亨二時(白鶴はここ南翔を去って帰らず、この事実を記念として刻む。後を継ぐ人々や国王が憐れんでも、寺内に香の薫る修行は絶えない)。」

この詩にちなんで人々はこの寺を「白鶴南翔寺」と名付けました。次第に槎渓という古い地名から南翔へと改められました。白鶴は寺の建造と修行寺とすることを導きました。これは神話・伝説ですが、白鶴南翔寺は実際に存在します。白鶴南翔寺は梁代の天監4年(505年)に寺の建造を開始し、唐代になると揺るぎない旺盛を遂げ、寺は180ムー(約12万平方メートル)まで拡大され、僧侶も800人以上に達しました。また、同寺は南宋の五代目皇帝であった宋理宗趙昀から「南翔寺」の扁額を受け賜り、寺名を南翔寺と改名。清朝康熙帝から「云翔寺」という書額を受け賜り、またの名を「云翔寺」といいます。その後も天災人災によって寺のほとんどが破壊されました。現在その歴史的証拠として残るのはわずかに一対の双塔と2つの古井戸、古猗園内に保存されている唐経幢と宋代普同塔などです。

南翔老街

「千載南翔古道場、層楼杰閣冠諸方(長い歴史をもつ南翔古い仏教の場所、いくつかの楼と素晴らしい建物が重なり栄えていた)」という云翔寺は、「南翔のルーツ 」です。現在はその名を「留云禅寺」は「云飄四海 根留祖基(雲が全国各地に浮かんでいるように、その根源を留め始祖を基礎とする)」に由来します。禅寺は敷地面積15ムー(約1万平方メートル)、合理的に、謹厳に配置され、3つの寺院から成り、中軸線上に主要殿堂は山門、観音殿、大雄宝殿と蔵経楼があります。また、左右対称に鐘楼と鼓楼、文珠殿、普賢殿などが配置され、長い廊下で取り囲まれています。そのほか、地下には功徳堂、万佛堂が設置されています。同寺は上海市で「龍華寺」、「玉佛寺」、「静安寺」に次ぐ第四の大寺に指定され、現在、上海市北部の重要な仏教センターとなっています。

南翔老街

南翔双塔は、古鎮のランドマーク的な建築です。双塔は一般的な宝塔とは異なります。具体的には、①一般宝塔は単独の塔があるだけですが、南翔双塔は2本の宝塔から成ります。建築材料、構造外観は全く同じで、東西に一対、互いにオーラを放っています。②一般的な宝塔はレンガと木材から成りますが、南翔双塔は一寸の木材、一本の鉄釘も使わず、全てがレンガを組み合わせて建造されているので、レンガ塔と別称されています。③一般的な宝塔は雄壮で高大ですが、南翔双塔は小さく可愛いらしく、精巧に整っています。

双塔は、底の部分が直径186センチメートル、高さ11メートル、7層8面から成ります。塔上の炎形の壺門、シンプルで素朴な縦型の窓、精巧な斗拱、細かい遮断板と美しい塔頂は、その建築工芸の精巧さを表しています。双塔は上海市内の古塔の中でもトップに挙げられ、中国の古いレンガ塔の中でも非常に貴重な塔です。河北省定県の開元寺のレンガ塔の美に劣らないと言われ、同済大学教授、歴史的建築物の専門家である周教授は「国の貴重な宝」と称したほどです。専門家の検証によると、双塔は唐代滅亡期の五代から北宋にかけて建造され、江南楼閣様式のレンガ造りの塔で、同類塔の中でも年代が最も古いとされています。同塔は極めて高い芸術的価値があるだけでなく、中国の古代建築史、宗教史、地方史の研究において貴重な実物資料でもあります。現在、上海市市級文化財保護建築に指定されています。

南翔老街

双塔の前面には南翔鎮で最も古い歴史的な文化財である古井戸「蕭梁古井」があります。蕭梁古井は「八角井戸」と称され、深さ3.5m、水質は清らかで、千年を経ても尚も涸れることがありません。昔は井戸に蓋をした亭(あずまや)が建てられ、僧侶や周辺住民に飲用水や洗濯水として提供していました。1961年街道の拡張と建物の修復工事により地下に埋もれていた二つの井戸は2008年発掘作業を経て出土しました。古井戸と云翔寺は基本的に同時に誕生したと見られ、現在まで1,500年の歴史を有し、千年の古鎮の実証物となっています。

古井戸の発掘と同時に宋代の云翔寺門跡の石柱基礎、柱石の挟み、瓦などが発見され、これらの遺跡の中から当時の云翔寺の山門の高さや大きさ、廟の規模や大きさを推測することができます。

「走三橋」の習俗
南翔老街 南翔老街

南翔は江南地域の多くの都市・町と同じように、昔から女性たちの中で「走三橋(三つの橋を渡る)」習俗が流行していました。

毎年旧暦の正月15日(元宵節)夜と中秋の夜、女性たちどもと共に三つの橋を渡れば、無病息災・魔除けが叶えられると信じ、「走百病(様々な病気も逃げる)」と言い伝えられています。

南翔の「走三橋」の習俗はその他の江南地域の水郷と異なります。具体的には、家から出発して家に戻るまでの間、全過程において、必ず多くの古い橋から現代の橋の中から3つの橋を選択し一回で一気に歩きまわり、多すぎても少なすぎても、繰り返すことも不可とされています。現地には「走三橋」の全景図があり、明・清朝の「走三橋」を生き生きと描き出した南翔の旧習俗をイメージすることができます。

横瀝河・走馬塘が交差する箇所に位置する「吉利橋」、「太平橋」、「隆興橋」の3つの橋は、これらの入り口は幸先が良いと言われています。特に、吉利橋上と隆興橋上にはそれぞれ道の神と橋の神が刻まれ、地元の人々からこれらの橋が人々の出入安全を守っていると信じられ、「走三橋」の第一選択肢に挙げられています。我々も一気に三つの橋を渡りきり、好運を家に持ち帰りましょう。

「走三橋」の習俗 南翔の見どころスポット

古猗園は上海嘉定区南翔鎮に位置しており、国家AAAAクラスの観光スポットであり、江南名園のひとつに数えられます。明朝の嘉靖年の間に建てられ、現在までにすでに490年余りの歴史を有しています。かつての名を猗園と言い、詩経の「緑竹猗猗」に由来し、明朝の嘉定の有名な竹彫刻家である朱三松によって魂を込めて設計されたものです。広さ約十ムーの園には至る所に緑の竹を植え、中には亭、台、楼、閣、榭が造られ、なんとも優雅で精巧な造りとなっています。清朝乾隆11年(1746年)、拡張・修復工事を行い、「古猗園」と改められた。

いきいきとした春と共に、ロマンチックな夏をすごし、色とりどりの秋を送り、心温まる冬を迎える。古猗園四大イベントがあなたを四季の旅へ誘います。

南翔の見どころスポット 南翔の見どころスポット 南翔の見どころスポット 南翔の見どころスポット